毛野国を支配した豪族の共通の祖先は『豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)』といわれている。父崇神天皇の命をうけて東国平定のため下ってきた。
神武天皇の東征後、大和朝廷の国家権力が東国に伸長をみた時期に、この地に下られ、天地の神々を国家祭祀のうちに摂取し統一を加えていった。
豊城入彦命の事業を受けて日本武尊が東国経営に当りますが、豊城入彦命の御子孫たちも、その掌に当ったという。
命の孫『彦狭島王』の東国派遣、その子『御諸別王』の征夷の記事があり、『国造本紀』には、その子『奈良別王』が下毛野の国造となったとある。