「この神(大己貴命)、高尾の名により、文字を鷹尾とも書す。また高男とも高雄とも書すなり。この故に高雄は武雄(勇)の美称をいうとて、出陣の諸将力戦の兵士必ず民の神を祈る毎に極めて利運を得るなり。実に御神は広鉾細戈千足の軍神にて八千戈大神と号し奉る。または大物主命とも申し奉って兵法を守護する等の大神にて神験妙助ありけるなり。
八千戈神・大物主命のこと、日本書紀にあり。当時の人、鷹(たか)をたかとりと読んで、知行の高禄を取る義にて武家にて常に尊敬あれば、必ず開運ありてか増の知行に進むなり。また、商工農家にて信教あれば必ず開運にて福寿を恵み給うというなり。
記(注、旧事記・日本記)の如く、袋を負い高尾山の上に至る時の袋は福にて、福を保つの義なり。これ大国主命と申し奉る縁なり。
今の世にいう所の大黒神これなり。(中略)
こゝで付記しておきたいことは、『景行天皇東西征定図』(本朝往古沿革図説・東京、岩田豊樹氏蔵=歴史読本昭和四十八年八月号付録)に地名が記入されているが、これに『毛野』のほかに『那須』があり、さらに現在の黒羽の辺り「大三輪山」から「鹿野」―「磯の上台」あたりに『神野』と誌してあることである。これは何を意味しているのであろうか。こゝは陸奥の那須口にあたっていることからみて鎮護の神々を祭った土地をそのように誌したのであろうか。また「神野」は「鹿野」なのであろうか推測の域を脱していないが、この『征定図』が確かなものを前提として誌したとすれば、この地方の古代をさぐる提言をなしていることは確かである。
注,「毛野」のほかに「那須」「神野」が誌してある。