2 碑文の訓読

151 ~ 152
  ◇前段
永昌元年己丑四月 永昌元年己丑(つちのえうし)(キチウ)の四月
飛鳥浄御原大宮  飛鳥浄御が原(あすかきよみがはら)の大宮(おおみや)より、
那須国造     那須の国の造(みやつこ)の
追大壱那須直韋提 追大壱なる那須の直(あたひ)韋提(ヰデ)は、
評督(※)被賜  評督(こおりのかみ)を被(かがふ)り賜(たま)ふ。 (評督を賜(たま)はる。)
歳次康子年    歳(ほし)は次(やど)る庚子(かのえね)(カウシ)の年
正月二壬子日   正月二壬子(みづのえね)(ジンシ)の日
辰〓〓      辰の節(とき)に殄(みまか)りぬ。
故        故(かれ)
意斯麻呂等    意斯麻呂(オシマロ)等
立碑銘偲     碑銘を立て 偲(しの)びて
云尓       尓(しか)云ふ。
  ◇後段
仰惟殞公     仰ぎ惟(おも)ひみるに、殞公(ヰンコウ)は、
広氏尊胤     広氏の尊胤(ソンイン)にして、
国家棟梁     国家の棟梁たりき。
一世之中     一世の中(うち)
重被弐照     重(かさ)ねて弐照(ジンヤウ)せ被(ら)れ、
一命之期     一命の期(とき)
連見更甦     連(つら)ねて再甦(サイソ)せ見(ら)る。
砕骨挑髄     骨を砕き髄を挑(かか)げ、
豈報前恩     豈に前恩に報ひむ(や)。
是以       是(ここ)を以って、
曽子之家     曽子の家には
无有矯子     矯子(ケウシ)有ること无く、
仲尼之門     仲尼の門には
无有罵者     罵者有ること无し。
行孝之子     孝を行なふの子は、
不改其語     其の語を改めざりき。
銘夏堯心     夏(おほき)なる堯が心を銘し、
澄神照軋     神照の乾(とく)(ケン)を澄(きよ)め、(神の乾を照せしを澄め)
六月童子     六月の童子も、
意香助坤     香りの 坤を助くるを意(おも)ひて
作徒之大     徒(たみ)の大(にぎはひ)を作(な)さむ。
合言喩字     合(まさ)に 言(ここ)に字を喩(つ)ぐべし。
故        故(かれ)
無翼長飛     翼(つばさ)無くて長(とこしな)  へに飛(かけ)り、
无根更固     根(ね)无くて 更に固まる、と。
 (注) 「田熊信之」による