那須国圏内の中心と考えられる湯津上・小川町とその周辺に、那須八幡塚・駒形大塚古墳・上侍塚古墳・下侍塚古墳・富士山古墳など大型な古墳があって、き鳳鏡・直刀などすぐれた副葬品が出土すること、さらに古墳の型に前方後方墳が多いこと等からみて、那須国の成立とか、国造の存続年代を推定する試みがなされている。考古学の立場からである。しかし古墳の編年を作成することがその前提にある。
本県の場合、下毛野国と那須国の統合がみられ、下野国となったのはいつであろうか。国造碑の碑文によると国造直韋提は持統天皇三年(六八九)に評督になっている。下野国の成立は、ほぼこの時期と考えてよい。しかし、当分は混用が続き、下野国の呼称が固定したのは、大宝律令制定後とみられる。