三 御亭山と信仰

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 慈覚大師(じかくたいし)円仁(都賀郡の人)は比叡山(ひえいざん)に到り伝教大師最澄(さいちょう)のもとに修業を重ね、承和三年(八三六)唐国に渡り、帰国後天台宗の基礎を築いた人であるが、法輪寺(湯津上村)は、寺伝によると慈覚大師によって東国巡錫の際、当寺を創建したという。
 (注)慈覚大師が創建したという寺院の数は多い。
 これは貞観(じょうかん)二年(八六〇)のことであると。なお光丸山の奥の院は、権現山にあって五輪宝塔が安置されているという。
 円鏡山法善寺(北滝)は、法輪寺と同じく天台宗でその系列のなかにある。山門に菊紋があり格式が高い寺であったという。近傍には碑塔類が密度濃く分布している。白東山麓の池畔に笈箱を背負った山伏像の石仏等も見られ、修験の業に精進した遠い昔の姿が思いやられる。
 御亭山(こてやさん)(海抜五一二・九メートル)は八溝山につぐ霊峰で、綾織池の畔に綾織神社がある。
 綾織神社は持統天皇の世に創建されたといわれ、豊玉彦命・豊玉姫命を祭る社である。条理遺構のみられた北滝・片田の水田地帯の水源を護る神々の御座します地である。
 御亭山には長者館野宝賢のことや養蚕・織物起源伝承、貸椀伝説などが伝えられ古代の面影が今も残るところである。
 北麓の沢を隔てゝ野上温泉神社があり、満蔵山雲光寺の観音堂等も現存する。満蔵山はいつの頃創建されたか不詳であるが、仏国国師が笈(きゅう)を置いた霊地と伝えていることや、中腹の墓地に梵刹の教体が数十体みられ、なかに緑泥片岩の板碑数基がみられること等から、この霊域は鎌倉以前に開けたものと推察されよう。

満蔵山登山口