下野国の東山道の駅家は、『延喜式(注1)』(延喜五年〈九〇五〉(注、藤原時平らが撰上する)に、よると足利・三鴨(みかほ)・田部(たへ)・衣川(きぬかは)・新田・磐上(いわかみ)・黒川とある。
(注1)『延喜式』 二十八兵部省
諸国駅伝馬 | |||
○中略 | |||
上野国駅馬 | 坂本十五疋、野後(ノシリ)・群馬(クルマ)・佐位・新田(ニフタ)各十疋、 | 伝馬 | 碓氷(ウスヒ)・群馬・佐位・新田郡各五疋、 |
下野国駅馬 | 足利・三鴨(ミカホ)・田部(タヘ)・衣川(キヌカハ)・新田・磐上(イハカミ)・黒川各十疋、 | 伝馬 | 安蘇(アソ)・都賀・芳賀・塩屋・那須郡各五疋、 |
陸奥国駅馬 | 雄野・松田・磐瀬(イハセ)・葦屋・安達・湯日・岑越(ミネコシ)・伊達(イタチ)・篤借(アツカシ)・柴田・小野各十疋、名取・玉前(サイ)・栖屋(スネヤ)・黒川・色麻(シカマ)・玉造・栗原・磐井・白鳥・膽沢(イサハ)・磐基(イハキ)各五疋、長有(エ)・高野各二疋、 | ||
伝馬 | 白河・安積(アサカ)・信夫(シノフ)・刈田・柴田・宮城郡各五疋、 | ||
○下略 |
なお『和名類聚抄(注2)』(承平五年〈九三五〉ころ)に、足利・三嶋・田部・衣川・新日(田)・磐上・黒川とある。
(注2)『和名類聚抄』 九居処十〇高山寺本
道路具第百卅三
○中略
○中略
東山駅 勢多 ○中略 坂下 野後 郡馬 佐位 新田 以上々野、 足利 三嶋 田部 衣川 新日(田) 磐上 黒川 以上下野、 雄野 松田 磐瀬 葦屋 安達 ○中略 高野 以上陸奥、
『延喜式』と『和名類聚抄』の駅家名を比較すると、多少の違いがみられる。三鴨は後者の三嶋に比定されている。
東山道は下野国最北の黒川駅家より先は、陸奥国に入り、雄野(白河市)に達する。
このように東山道は下野国内では上野国境から足利に入り、国府と那須郡衙を通って陸奥国の白河関(注)に向って抜けた道である。
(注)白河関は郭、土塁、空堀が遺存しており、発掘調査により、外柵が検出された。承和二年(八三五)十月三日の太政官符にいう剗(せき)であって、単なる関ではなく、蝦夷に備えた防塁であった。
駅家を連ねた道が東山道である。道の正確な位置は判然としていない箇所が多い。これは、脇街道があったり、駅家の位置に不明の点があることが左右していることと思われる。