「那須氏には、那須国造直韋提(あたいいて)の子孫たる那須氏と、余一宗隆から出た那須氏がある。然れども那須国造の後なる那須氏は、陸奥国に入って、白河郡の大領となり、やがて阿部氏に変ったようである。
(中略)
余一の出た那須氏は、世に那須氏と称するもので、専ら本郡に繁衍したが、備中国荏原庄(えはらしょう)に、那須頼資の三男朝資が分知されて、備中那須氏の祖となったのを見ても、他国に那須氏の栄えたことが知れよう。」
(中略)
余一の出た那須氏は、世に那須氏と称するもので、専ら本郡に繁衍したが、備中国荏原庄(えはらしょう)に、那須頼資の三男朝資が分知されて、備中那須氏の祖となったのを見ても、他国に那須氏の栄えたことが知れよう。」
と、そうして那須氏の主なる系図を掲げ、諸氏の説を提示し比較論述している。その大要を次に記そう。