目次
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第二編 歴史の流れ
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第三章 中世
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第一節 那須氏の興りと発展、およびその他の武将
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一、那須氏の出自
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(一) 那須氏二流説(『那須郡誌』)
1 烏山町天性寺伝那須系図の説
180 ~ 181
那須氏は関白藤原道長より出て、その子孫の権守藤原資家(貞信)は長治二年(一一〇五)勅命を奉じ、八溝山の凶賊を滅ぼした武功により、朝廷から従三位下野守に叙せられ、下野国那須郡を領した。資家は名を貞信と改め、初め首藤と称したが、神田城(小川町三輪)に住して須藤と改めた。貞信の子資通は平治の乱に討死して嗣子なく、相模国山内の住人首藤刑部太夫義道の嫡子資満を養子としたので、那須氏と相模の山内氏と密接な関係が生じた。
天性寺伝 那須氏略系図