2 『那須記』の説

181 ~ 181
淡海公(藤原不比等)より十四代の後胤、藤権守貞信卿、天治二年(一一二五)八溝山の化生岩嶽丸を退治し、恩賞として下野那須守護を賜わり、那須郡に神田城を築いて住んだ。というのである。〈但し長治二年(一一〇五)が正しいとされている〉