五、黒羽城主大関氏

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 ◎十四代右衛門佐高増、幼名は熊満。従五位下、右衛門佐、後に美作守。号を安碩といい、入道して未庵と称した。大田原資清の嫡男で、大関増次の後を継いだのは前記のとおり。高増は人となり剛勇大胆、かつ洞察力もある武将で、戦国の世を逞しく生き、やがて大関氏を近世大名にまで成長させたのであった。いわゆる暴れん坊殿様として、四隣の諸武将からは非常に怖れられた。当時の俚謡に
  畠で〈に〉地しばり、田で〈に〉びるも
   那須で〈に〉安磧(あんせき)無けりやよい〈なかよかろ〉

と唄われ、憎まれ者でもあったわけだが、その力量のほど、活躍の模様を次に述べることにする。