中世の支配階層は武家であったが、公の教育施設はなかった。中世において、学校に類する施設としては、寺院または公家、上層武家などの邸宅に設けられた「学問所」、あるいは、寺院に設けられた「勧学院」などであった。「学問所」は、特定の師弟関係を中心とする閉鎖的な施設であり、勧学院も僧侶養成の施設として特定の宗門の学生僧を対象としていた。中世後期になると、武家の子弟が寺院で教育を受ける風習が一般化した。すなわち元服までの数年間、寺に入れ(登山・入山と言う)寺院生活をさせるとともに、手習・学問をさせたのである。このような中世寺院における世俗教育を母体として、やがて近世の学校が発達したものと思われる。