一 大関氏支配体制の確立

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 大関氏は、那須宗家譜代の国人として黒羽を根拠地とし、那須諸将の雄として活躍した。秀吉に本領を安堵され、家康に二度の加増を受け、近世大名として成立し、明治の廃藩まで二度も転封を受けなかった。
 大関氏の支配体制の確立を明らかにするためには、大関氏の領地支配を述べなくてはならぬが、往古の資料に乏しい。覚書として残されている資料のうち「太閤検地云々」についてはその内容が全く不明である。すなわち残闕文書である。しかし、『往古以来家中分限記』(黒羽町蔵)や『栃木県史・史料篇近世四』所載の「滝田・益子・鈴木家文書」や、これと全く同類と思われる文書等によって、大関氏家臣団の構成を知ることができる。また、これらに関わる「家中払い」「給人立退き事件」などの記録によって、家臣団の再編成と支配体制の確立の過程が推察できる。加えて、農民支配の一端もうかゞわれる。かゝる見地から黒羽藩初期の最も重要な寛文年中までの家中分限を記しておく。