3 寛文年中

303 ~ 304
年代不詳であるが公知衆(金丸・浄法寺・津田・松本)の名が記されており、家老筆頭に鹿子畑左内の名がある。浄法寺を除いた公知衆の立退きは、寛文五年冬であり、鹿子畑の御暇は寛文七年五月である。また、「寛文二年の給人知行高帳」が現存するが比較すると、万治元年と寛文二年の間の四年間のものであろう。推測すると、寛文二年の検地に最も近い分限帳であろう。
侍分(金丸・浄法寺家) 家老 役人 物頭 出頭 番侍 勘定方 作事奉行 町奉行 目付 大小性 広間番 近習 切米方 横成方 中小性 祐筆 役人 破損 鷹匠頭 湯本奉行 鷹匠 坊主頭 侍組付
  なお、御礼之時分の席順が記されている。
  御座之間
家老 役人 物頭 出頭 勘定 町奉行 作事奉行 目付 留守居

  大広間
番付 大小性 広門番 近習 切米方 横成方 米方 小納戸 中小性 祐筆 破損方 役人 鷹匠頭 湯本奉行 山奉行 坊主頭 歩士 勤定人 歩之者 料理人


 これは藩士の席順が明記された最も古い記録であり、後年増業が定めた席順の範となったと思われる。