三 寛延の倹約令

311 ~ 314
 寛延三庚午年九月二十五日「御家中之重き御借上ニ付諸事御倹約被 仰出候節云々」の文書があるがこれは、「寛延三年御倹約被 仰渡覚」(大関家文書黒羽町所蔵)と同一である。この倹約令は、享保十八年丑十一月の倹約令と共に詳細がわかるものであり、特に「借上割合覚」が付されている重要なものなので記す。
    御倹約被 仰渡覚
一、数年勝手向不如意之処打続領内不作差支之上当七月中江戸屋敷焼失何レニも取続必至と難成候家中数年之困窮令推察其上先達而申付候借上年数之内旁以気之毒至極候得共不及是非又〻当年午ノ暮ゟ戌ノ暮迄五ヶ年借上別紙割合書付之通申付候

一、五ヶ年中者給人以上勤番差免候乍然公用或者無拠儀ニ而勤番入候節者時ニ立可申付候

一、右ニ付諸士乍太儀只今迄之通江戸勤番半年詰但シ勤番之節者借上高内相戻候并貸人等之儀者別紙書付之通可申付候

  附 支配有之面〻者頭〻ゟ可申渡候
右之通無拠申付候其外之儀者只今迄之通相心得此上如何様ニ茂取続可相勤候
   午九月
          (省略)
    借上割合覚
一、十人扶持                 四分通
一、十五人扶持                四分五厘
一、廿人扶持                 五分通
一、百石ゟ                  五分通
  百四拾石迄
   但 畑方小物成迄
一、百五拾石ゟ                五分五厘
  弐百四拾石迄
   右同断
一、弐百五拾石ゟ               六分通
  五百石迄
一高百石以上之寺院者右同断九拾石以下之寺社者四分通尤畑方小物成迄

一五人扶持ゟ三人扶持迄
 切米七両弐分ゟ四両迄            三分通
  但 扶持切米ニ而切米無之五人扶持者    弐分通
一弐人扶持
                       四分通
 切米六両ゟ弐両迄
  但 切米金江斗
一壱人扶持                  弐分五厘
 切米三両弐分ゟ弐両迄
   右同断
一壱人扶持                  壱分五厘
 切米壱両弐分ゟ壱両迄
   右同断
 
    江戸勤番之節借上
 一百五拾石ゟ                壱分通
  弐百五拾石迄
一弐百五拾石ゟ                壱分五厘
 三百四拾石迄
一三百五拾石ゟ
 五百石迄                  弐分通
一百四拾石以下并大扶持其外扶持切米之族勤番申付候節者借上不残相返候事

一勤金諸士相止候事
         (省略)
    定府借上覚
一、弐百石ゟ
 百五拾石迄                 三分通
  但 畑方金迄
一、弐拾五人扶持               三分通
一、弐拾人扶持                弐分五厘
一、拾五人扶持                弐分通
一、十人扶持                 壱分五厘
   午九月
 
    覚             物頭役江
其方共支配足軽江者借上不申付候此旨可相心得候以上
   午九月
  寛延三午年九月十五日被 仰付也
 
次いで寛延四年(一七五一)辛未年三月廿七日には前年の借上げ割合を上まわって仰渡されている。
    借上割合覚
一、家中物成方畑方夫銭不残借上
  但 米方者只今之通
一、寺社方物成方右同断
  但 米方者只今之通
一、弐拾人扶持                六分通
一、拾五人扶持                五分五厘
一、十人扶持                 五分通
一、五人扶持四人扶持
                     米金江
  切米金七両弐分ゟ四両迄          四分通
                     米方江
一、三人扶持                 三分
                     金方江
  切米金七両弐分ゟ六両弐分迄        四分通
一、三人扶持
                     米金江
  切米六両ゟ四両迄             三分通
一、弐人扶持
                     切米金江斗
  切米六両ゟ三両迄             五分通
一、弐人扶持
                     切米金ヘ斗
  切米金弐両弐分ゟ弐両迄          四分五リ
 
  十人扶持無勤之族六分通借上之事
一、切米無之五人扶持之族者三人扶持へ五分之借上残而弐人扶持者借上無之事

一、壱人扶持金弐両無勤之族者切米江斗三分通借上之事

一、在所江戸諸出入扶持不残借上
 
    江戸
一、物成方畑方不残借上
  但 米方者只今之通
一、廿五人扶持                三分通
一、廿人扶持                 三分通
一、十五人扶持                弐分五厘
一、十人扶持                 弐分通
一、五人扶持三人扶持
                     米金江
  切米金七両弐分ゟ四両迄          壱分通
一、弐人扶持
                     切米金江斗
  切米金六両ゟ三両迄            壱分通
一、出入医醫                 五分通
 
    江戸勤番
一、家老役                  廿五人扶持
一、物頭役                  十五人扶持
一、出頭役                  右同断
一、大目付                  拾五人扶持
一、給人勤                  右同断
 右者江戸壱年詰割合道中駄賃雑用供ニ一色手前賄ニ不時登ハ日割之事
  但 役料有之面〻者役料共ニ右之内ニ込ル
一、給人以下大扶持之面〻半年詰ニ而米拾俵宛借上但 道中駄賃雑用賄共只今迄之通

一、右以下者只今迄之通
一、切米金渡方
  三月 七月 十二月
 右三季四分一渡ニ〆三月四分一七月同断十二月弐分渡之事
右之外者去午ノ九月被 仰出候趣ニ可相心得候尤支配有之面〻者頭〻よ里可申渡事
  寛延四辛未年三月     廿七日被 仰渡也
                (以下省略)
 
 この倹約令を証するものに、『多治系伝巻六』の増備之伝中に「寛延之頃勝手向支江戸ニ於て家中へ相渡すへき扶持米毎日量り渡せし所一朝其事も差支午時迄朝食之料家中へ不相渡云々」とある。いかに藩財政の窮乏がひどかったか推察できよう。