二 旗本知行所

340 ~ 341
 旗本は、将軍直属(直参(じきさん))の武士で、三河以来の家臣が多く、知行高一万石以下百石内外の領地を与えられていた。旗本に与えた領地(給地)は知行所と呼ばれた。また支配する旗本を地頭(じとう)と呼んだ。支配権は、年貢の徴集のほか行政・立法・司法の公法的諸権をふくんでいたが、司法権は制限があつた。
 旗本は、江戸に居住する義務があり、幕府の役職などに任ぜられた。役職は番方と役方とがあった。なかには無職の者があつた。小身の者は、少数の下男下女を雇用してあるばかりで、儀礼にも事欠くことがあり、領知の統治は幕府が代って支配することが多かつたという。
 下野国七十六万石のうち二十七万石(三五・六%)が四百名以上の旗本の領知に分知されていた。しかも一人一か所でなく何か所にも分散していたので、その給地の数は一千四十七か所にのぼったという。
 三千石以上の旗本は、現地に代官を置くものがあったが、多くは家臣を出役させる程度で、いっさい名主(なぬし)に任せたものが多かった。