下滝村も山内源七郎の知行地で三百八十六石余である。『要覧』によると、寛永の頃から天領であつた。
(注)明治七年ごろ上と下の両村が合併して北滝村と改めた。滝村と総称したこともある。
北滝の集落景観
滝村について、安政二卯年(一八五五)三月、組合村(組合高壱万三千弐百三拾七石七斗三合弐勺三才 大関信濃守領分 寄場 黒羽町 外四拾八ヶ村)の記事(以下『安政書上』)がある。参考までに誌しておく。
御代官大竹左馬太郎支配所
野州那須郡
瀧村
一高四百九拾六石六斗八升弐合
家数 四拾八軒 江戸迠道法
三十七り
人別 男百廿三人
女 百廿七人 馬拾疋
一農間餘業無御座候 并産物等無御座候
一那珂川東附之居村ニ御座候