
矢倉の集落景観
村高三給合百九石六斗七升之内
酒井八三郎知行所
野州那須郡
一高三拾九石四斗 矢倉村
家数 三軒
男七人 馬弐疋 江戸迠道法
人別 三十六リ
女九人 牛六疋
一那珂川附河岸問屋稼仕候 源治右衛門
一当村方右河岸ゟ農間船運送稼仕候
右同断之内
倉橋仙太郎知行所
同州同郡
一高三拾二石九斗五升 同村
家数 四軒
男拾人 江戸迠道法
人別 馬三疋
女拾三人 同断
一同村河岸ゟ農問船乗稼仕候
右同断之内
桑山弁吉知行所
一高三拾七石三斗弐升 同州同郡 同村
家数 弐軒
人別 男弐人 馬弐疋 道法
女五人 牛六疋 同断
一同村河岸ゟ船乗稼仕候
一那珂川附船場村持 馬船壱艘
小舟壱艘
(注)「安政書上」による
これをみると当時矢倉村は、旗本酒井・倉橋・桑山氏の三給地であったことがわかる。源治右ヱ門が那阿川筋の河岸問屋を経営し、村方の者は農間に船の運送などにあたっていた。なお村内の馬の数七疋に対し牛が十二疋も飼用され、矢倉村の地域性を表わしている。また渡し船場があり、馬船・小船各一艘が村持であった記事もみられる対岸との関係が深かったことを示している。現在は小橋が架してある。