亀山村は黒羽藩領分(一五二石余)と入亀山村〈久世平久郎知行〉(五百九十六石余)とからなっていた。『要覧』には「亀山村〈百五拾二石〉、慶長年代(一五九六~一六一五)より黒羽藩領」とのみある。『安政書上帳』には、次の記載がみられる。
大関信濃守領分
野州同郡
一高百三拾三石五斗九升六合 亀山村
家数 七軒 江戸〓道法
男拾七人
人別 馬五疋
女弐拾壱人
一、御朱印地并除地無御座候
一、農業之外餘業無御座候産物之類無御座候
一、名高き神社仏閣無御座候
一、那珂川東附之居村ニ御座候
久世政吉知行所
同州同郡
一、高弐百拾七升六合 亀山村
家数 拾四軒 江戸〓道法
三十七リ
男弐拾五人
人別 馬四疋
女三拾五人
一、御朱印地除地無御座候
一、農間餘業無御座候并産物之品無御座候
一、山附之村方ニ御座候
(注)「安政書上」による
亀山村は明治九年に大久保村と合併して亀久(かめひさ)村となる。