一 雲岩寺(天領と寺領の二給地

362 ~ 364
 京都妙心寺派の大禅刹(ぜんさつ)「雲巌(うんがん)寺」のある雲岩寺(うんがんじ)村の近世における支配関係は、雲巌寺領百五十石、山内源七郎支配所七拾弐石余の二給である。これを『要覧』でみると
 「雲岩寺村、二百二十二石、江戸初期より幕府天領及び雲巌寺領。天保の頃は北条雄之助支配七十二石、雲巌寺領百五十石の割地支配、幕末まで同じ」とある。
 また『安政書上』に次の記事がみられる。
 村高弐給合百三拾七石九斗弐合之内
                 御代官大竹左馬太郎支配地
                        野州那須郡
一高四拾七石九斗弐合               雲岩寺村
  家数 六軒                 江戸〓道法
     男八人                 四十壱里
  人別     馬三疋
     女拾四人
一農間餘業無御座候并産物等無御座候

「安政二年組合村々地頭姓名其外書上帳」
雲岩寺村・雲巌寺

一八溝山麓ニ而至ッテ奥山居所ニテ御座候
                     雲岩(巌)寺領
                         同州同郡
一高九拾石                     雲岩寺村
  家数 拾四軒
     男三拾人
  人別        馬七疋
     女三拾弐人
京(都)花園妙心寺派
一御朱印地高百五拾石          野州那須郡福原庄
一御朱印地高百五拾石              禅宗 雲岩(巌)
一農間餘業無御座候

雲岩寺の集落景観