漆苗仕立方につき申渡
一、村方町方漆苗木望みの者ハ沼藤五郎方へ願出て苗木請取り植置き申すべき事
一、漆苗木成長の後御買上ケ値段の内三分ハ上納七分ハ持主共へ下し置かせらるべき事
一、漆苗木植立て置き候ても後世故障有之伐りからし申し度義有之節ハ願伺ニも不及持主の勝手次第ニ仕るべき事
一、漆苗木請け取り植立て枯損し多く候ても相届けに不及、尤も御吟味見分等の義無之其の外漆ニ付惣て入用懸りもの等決て無之様取り計ろうべき候間気遣い遠慮仕り間敷事
右之通ニ候間植場を持ち手くり相成り候者共ハ遠慮無く苗木請け取り申すべく候。木数多く相成り候得は上の御為ニも宜しく且ハ自分の助成にも相成るべき候間了簡の上植場を考へ仕立て候義然るべき事ニ候、尤も押て申し付け候義ニハ無之望次第の儀ニ候間、其の旨相心得べく候 以上
三月 金右衛門
藤太夫」「6」
今日、漆の木は本町に於て殆どみられないが、藩政時代は勿論明治・大正・昭和期まで漆液が出荷されていたが増輔の奨励策にあると思われる。
増輔は、前文のように林業奨励に意を注いだが、反面資源保護にも尽された。黒羽藩飛地下之庄益子陣屋の日記に記されている。