目次
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第二編 歴史の流れ
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第四章 近世
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第二節 封建社会の歩み
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一、産業
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(二) 林業
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三 増輔時代
4 太山の左知
407 ~ 407
寛政三年(一七九一)以前の黒羽地方の山地への植林は、挿木苗寄枝山引苗を使用していた。寛政三年、大雄寺の住職に棚倉より玄機和尚が普山した。一日、和尚は興野隆中に向って棚倉辺では山引苗は実生であると説いた。
興野隆中、隆雄父子は研究すること十数年でその技術を習得した。興野隆雄は文化、文政の四十年間、藩林は勿論民林まで習得した技術を基にして林業を奨励した。嘉永六年、これまでの父子二代の研究の成果をまとめて一書に『太山の左知』と名付け官民の有志に配布した。教育程度は低く、林業の参考書もない当時、翁のこの一冊「太山の左知」が本町林業の発展につくした功績は大きい。
文献
(注)「1より7まで」栃木県史 史料編近世四