四 増業時代

407 ~ 408
 増輔の跡増陽は、享和二年(一八〇二)より文化八年(一八一一)までの十年間、その跡の増業は藩主在職十四年の短命であった。
 中興の名主と称せられた増業は産業の振興に教育に意を注ぎ、自らも『創垂可継』その他の著書を出したが、部下の重臣層より経済政策を非難されて江戸に隠居した。