増儀 文政七年(一八二四)嘉永元年致仕
増昭 嘉永元年(一八四八)安政三年卒去
増徳 安政三年(一八五六)文久元年致仕
増昭 嘉永元年(一八四八)安政三年卒去
増徳 安政三年(一八五六)文久元年致仕
藩主として執政期間は、増儀二十五年、増昭九年、増徳五年、であるが、増儀・増昭は病弱なため、藩政の実権は重臣層に移っていった。
黒羽藩総人口 栃木県史研究(一九七三)
享保十七年(一七三二)二万四千七百四十六人
安政四年(一八五七)一万六千二十八人
禄高借上率城代家老五百石に対し八七・六%、百石取で六五・四%
この窮状を逃げる方便として、豪農、豪商は勿論、藩士にいたるまで講、無尽を催し特に藩士の場合は権力を乱用し、領民を泣かせた。