須賀川は、むかし金の採掘がみられた。主に鉱石は大道沢(だいじんざわ)・米梨沢・仏沢から採掘された。砂金はふつう砂状の鉱石を水とともに流す選鉱法をとり、比重の重い鉱物を沈澱させてこれを採集するものであるが、ここでは「ねこながし」といって「ねこ」と呼ぶ筵(むしろ)状の織物や、揺り盆と称するひらたい容器を使用した。その用具を保存している家もある。当時使用した金と雑石を選別した石臼が、須賀川各地にみられる。八溝の金採掘の歴史は古く、『続日本後記』の承和二年(八三五)の条に、「下野国(栃木県)武茂(も)の神に従五位下を授け奉り、この神沙(砂)金の採れる山に座す。」とある。八溝の健武神社のことで、金山彦命が祀られている。慶長七年(一六〇二)までは、大道沢のある須賀川から須佐木の辺は、常陸(茨城県)の佐竹氏の勢力下にあった。(ふるさと雑記より)