二 商業の概況

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 黒羽向町の高柳源左衛門は、藩の御用達の中でも大きな役割を演じ、寛政十年(一七九八)~弘化三年(一八四六)あたり活躍し、米穀商河岸問屋も営んだ豪商であったほか不明である。
 明暦元年(一六五五)に黒羽河岸が黒羽向町に開設された。黒羽河岸の輸送物資は、天保二年の例をみると、米穀・酒・醤油・水油・葉煙草・柏皮・楮・木羽・茶・絹糸・大石その他銭荷(雑貨)などで、帰り荷には〆粕(しめかす)・にしん等の海産物などで、乗り合いにも利用された。河岸には問屋を置き、飲食店、船宿が並び、船と積み替えの駄馬で賑った。商業は、交通の便の良い(道路、河岸を持つ交通の要衝地)、黒羽向町を中心に発展した。河岸近傍職業見取図を次に示す。(ふるさと雑記参考)

明治初年の黒羽河岸付近の見取り図
(阿久津正二氏の調査による)