向町の市日は、文化年間の古記録によると、「市日六と三八の」日とあるから、定期的に市が立ったとみられる。また文化九年(一八一二)の「御尋につき「書上奉る覚」(向上下町)によると、市場取り立ての許しを仰せつけられ、上町に市を始めたという記録がある。下町の市について同上の文書によると
「石井沢村が御城下に相成り候(天正四年(一五七六)荒宿が開かれた)中略余瀬村の市神を譲り請け、たゞいまもって右三人(阿久津亀之進・室越半右衛門の先祖、ならびに伝兵衛(但馬))にて正月十三日市場相立て祭り来し申し候」とある。
従ってかなり古くから実施されていたことがわかる。次に創垂可継には、「十二月廿三日向町市につき、町番町奉行並に徒目付壱人出役の事、廿八日、右同断とある。また余瀬村(粟野宿)では、ここが城下であったころ、筋違橋から市場川までの間に市場があり、上と下に市神(事代主命)を祭っていた。