四 せり駒市

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 こゝは、全国有数の馬産地であるみちのくの漸移地帯であり、鵜黒の駒の伝承地である。黒羽藩でも産馬を奨励し、馬は農耕と運搬にも大きな役割を果たしてきた。また仔馬をとってこれをうることも農家の経済を潤していたのであった。せり市のようすを創垂可継(年中行事)(文化十四年〈一八一七〉でみると、三月の部に「せり駒これある節、徒目付、馬乗、馬医まかり出で候事」とある。また八月に「在中駒改め」十月廿八日の頃には「当日よりせり駒これあり、両奉行・構成役・徒目付・馬乗・馬医まかり出る(以下略)」ともある。さらに同書の「租入会計録」には「せり駒は馬一疋(匹)につき、金壱両に、売りは、馬買主より壱両弐朱取り立て、売主へ壱両弐朱の内、三分弐朱相渡し、残り金壱分弐割五分金上納銭にて売りたる馬は、百文に付き拾弐文の割にて取り立て、女馬運上は馬一疋に付き他所馬喰(よそばくろう)より百文ずつ、領分馬喰より四十八文ずつとある。