黒羽河岸の輸送荷物は、黒羽藩領のものと奥筋のものが多く、烏山・大沢・生井・大瀬・川井・野田・長倉・野口村等に積み送りしたが、茂木方面への積荷は、生井・大瀬・川井河岸で陸揚げし牛馬で送った。特に川井村までは、川路凡そ拾壱弐里の間、穀物・材木等を積み壱ケ月四~五回往復していた。
また江戸・諸国行の荷物は水戸・湊・海老沢に揚げ、吉影村まで送った。さらに川上げの海産物等は烏山・佐良土河岸で中継ぎし、陸送したものがみられた。黒川舟運については、前項で述べた通りである。
黒羽河岸問屋荷は、那珂川の川下げによる江戸送りを「東通し」と称し、鬼怒川利用の送りを「西側廻し」と称した。たゞし後者の場合は、黒羽から法師峠を通る馬の背で福原に出て、鬼怒川筋の阿久津河岸まで陸送したのである。また海産物のうち、生魚などは大子道を久慈川方面から馬の背で持ってくるか、佐良土河岸で陸揚げして黒羽まで運んだという。なお塩などは阿久津河岸から福原道を利用したという。また下之庄(益子地方)の物資は、柳林・久保田河岸によったのである。