②黒羽上河岸問屋持船改

429 ~ 430
 (表紙)
 川井村ニて差出下書
 (本文)
   覚
                   下野国那須郡黒羽町
                         船主 九兵衛
一 小鵜飼船三拾艘
   内弐拾六艘御改当時有船
 但シ、那賀(珂)川筋通船仕候ニ付、此度御願上候、尤年々壱艘付鐚八百文ツ、領主へ川岸舟運上と唱、先々より納来候

右は船改番御用御越ニ付、私共村方船数、舟大工・船問屋とも書上候様被仰付候ニ付、取調候処書面之通ニ御座候、尤右之外壱艘も無御座候、若此上御吟味之上相違之儀御座候ハヽ、如何様被仰付候共、其筋一言之儀申上間敷候、以上

  文政十三寅年十月
       大関伊豫守領分
                  船主   九兵衛
                     代 源兵衛
                  年寄代  重左衛門
  川船御改
     御役人衆中
  以書付奉願上候
       野州那須郡黒羽村(町)
              船主    九兵衛
一、小鵜飼船三拾艘
 内弐拾六艘御改メ当時有船
右之船、只今迄持来候小鵜飼船ニて、那賀(珂)川通り野州那須郡黒羽町より同州芳賀郡川井迄、川路凡拾壱弐里之間、穀物其外材木等積入、壱ケ月賃銭八貫文程も稼仕候船ニ御座候、尤江戸表ハ勿論外川続無之川路、海老沢村迄、夫より吉影村迄之間陸地ニ相成候ニ付、落水勢強ク、荒川故破船流失等度々有之候ニ付、御極印御免御鑑札頂戴仕、向後御年貢御役銀上納被仰付、前書之通り川筋稼仕度奉存候間、願之通被仰付候様奉願上候、以上

 文政十三寅年十月
      大関伊豫守領分
         野州那須郡黒羽町
                    船主  九兵衛
                     代  源兵衛
                    年寄代 重左衛門
  川船御改
     御役人衆中
右之通奉願上候処、願之通り被仰渡難有仕合奉存候、依之仮御切手御渡被下奉請取候、尤追て御沙汰有之候節、右仮御切手持参川船御改所へ可罷出旨被仰渡、承知奉畏候、依之続添一札差上申処如件

 文政十三寅年十月
        野州那須郡黒羽町
                    船主  九兵衛
                     代  源兵衛
                    年寄代 重左衛門
  川船御改
   御役人衆中
 
  乍恐以書付奉願上候
           長弐丈五尺
一 川下ケ小船拾艘  横壱尺八寸 源兵衛持
           深 九寸
右は持来候川下ケ小船ニ御座候処、是迄之通居村下川下ケ小舟ニ仕度奉存候付、相応之御年貢上納可仕候間、願之通被仰付被下置候様奉願上候、以上

   文政十三寅年十月
        大関伊豫守領分
                    船主  源兵衛
                    年寄代 重左衛門
  川船御改
   御役人衆中
右之通奉願上候処、願之通り被仰渡難有仕合奉存候、依之仮御切手御渡被下奉請取候、尤追て御沙汰有之候節、右仮御切手持参川船御役所へ可罷出旨被仰渡承知奉畏候、依之続添一札差上申処如件

   文政十三寅年十月
                   野州那須郡黒羽町
                     船主  源兵衛
                     年寄代 重左衛門
(阿久津正二家文書)


黒羽上河岸問屋持舟改
「川井村にて差出下書」