1、乍恐以書付御訴訟申上候事

462 ~ 463
一 奥州より江戸往来之道筋、本道、関海道、原方海道と申、白川より三筋御座候て、先年より万荷物上下仕候、然所ニ本道喜連川より白川迄八ケ所之問屋共、松平大和守様へ御訴訟申上候由ニて、籏宿へ罷出候登リ荷物御留被遊候ニ付、関海道馬継数ケ所迷惑仕候事

一 関海道之義は、古来より之道筋御座候、其上順路能、駄賃銭も下直ニ御座候故、商人も望罷通り候、関東より奥州へ之下り荷物も江戸より舟積仕、境河岸・乙女河岸へ着船仕、関海道へ罷出、於爾今、籏宿より白川へ付送り申候事

一 御大名様方御通り被遊候節は、関海道筋之村々御用助人馬、本道より申参次第ニ罷出相勤申候、其上鍋掛ケ川洪水之時分は、御大名様方其外江戸上下御家中御荷物、黒羽舟渡へ御懸り、関海道御通り被遊候事

一 先年より白川御代々之御城主様方、籏宿へ罷通り候荷物御留被遊候事無御座候所ニ、此度登り荷物御留被遊候、依之当七月中関海道筋問屋共、白川御役人衆中へ御訴訟申上候得共、御承引不被成候故、馬継之村々迷惑仕候事

一 先月廿三日より御当地へ罷登り、松平大和守様御屋敷へ数度御訴訟申上候得共、御承引不被遊候ニ付、乍恐御訴訟申上候、以御慈悲先年之通り白川より籏宿へ之登り荷物御通シ被下候ハヽ、難有可奉存候、以上

                   奥平熊太郎領
                       板戸河岸
  元禄八(一六九五)年亥九月十四日   同領
                       石末村
                   大田原和泉守領
   御奉行所様               鴻野山村
                   下嶋甚右衛門御代官所
                       鹿子畑村
                   同 御代官所
                       福原村
                   同 御代官所
                       蛭田村
                   大関大助領
                       余瀬村
                     同領
                       黒羽村
                     同領
                       寒井村
                   外山小作御代官所
                       伊王野村
                   大関大助領
                       蓑沢村
                   右拾壱ケ所之内
                     訴訟人
                    伊王野村 伝右衛門
                    黒羽町  茂右衛門
                    鹿子畑村 八兵衛
                    鴻野山村 伊兵衛
 (裏書)
  「
如斯目安差出間、致返答書、来月十四日評定所へ罷出可対決、若於不参は可為曲事者也

    亥九月廿五日 御用ニ付登城
             志摩
             下野御印
             美濃 同
             摂津 同
            御用ニ付登城
             出雲
             紀伊御印
            煩能登
             伊賀御印