1 創立

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黒羽藩主大関増業は、何陋館を設立すると同時に、練武園をたてた。これは、藩士が、文武両道に偏頗なく精進するようにとの心構えであった。園は、従来の演武場(黒羽町招魂社境内にあったと荒牧兼作氏の話)を充てた。つまり、これまでの武術稽古を学校式に改善したわけである。次に、教師、内容等について記してみる。