5 経費の不足

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作新館の経費は、藩主増勤が賞典禄より百五十石を割いて設立した。この中より経常費を賄ってきたが、いよいよ改作し作新館として経営してみると、年々館費が増加する一方で、支出金額は固定しているから、運営に困難を生じてきたので、同五年七月左記の経費支出の増額願を大関家家扶宛に差出した。(地山堂雑記廿一編)
 増勤公御賞典をもって学校御造立当時に至り、諸県に秀で旧藩不朽の基と相成可申奉存候処、其後費用減方之儀御示談有之候得共、此上相減候はゞ、瓦解廃絶いたし候儀顕然に御座候。
左候ては増勤公において、諸邦に被為対、御面目を失い、悲歎之仕合に御座候、愚生共竊に勘考仕候には、御賞与残り高夫々仕訳有之候得共、是等何とか御詰め方有之度奉存候、其内五百石余は、御洋行御入費之御備ことも相成可申に付、何れ共不申上候へ共、三百石御賞典米運送其外入費見込と有之、此義は当県に於て米御渡しと相成候趣、左に候へば、如此の入費必相懸り申間敷、第一此内より百石御増加相成候様仕度候、然る上は営繕を除くの外、永続の方法相立可申考候間、右願の通御許可被下度奉至願候也
  壬申七月
                      服部七之助
                      竜田永帰
                      松本徳太郎
                      大沼上寿軒
                      浄法寺高
                      小泉友
                      三田恒介
                      渡辺中正
                      三田称平
  御家扶御中
 これを見ると、三百石は、御賞典米を東京に運送する費用やその他の雑費にあてているが、米は本県内において処分されるよしゆえ、この内より節約して、百石を増加してほしい。そうすれば、館舎の営繕は別として、学館運営の永続法が立つというのである。願人は、作新館の教官である。これに対して増勤はいかなる処置をとられたか、文書の検すべきものがないから不明である。