黒羽小学校の校庭の片隅に、ひとつの土蔵があり、ふだんは扉を閉じたままであるが、年一回、七月に開かれ、中に収められている莫大な数の古書が虫干しされることは、黒羽町の人々には周知のことであろうが、栃木県全体には、あまりよく知られていないし、まして日本全国には、ほとんど知られていない。そして、それらがどのような内容の本なのかということになると、なおさらである。しかし、この文庫の持つ価値の貴重さがわかれば、誰しもが、人々に知られていないことを残念に思うであろう。
私は昭和四十七年から国立国文学研究資料館の委嘱を受けて県下の古典籍の調査を行なってきたが、昭和四十八年七月に大関文庫の調査をさせていただいた。前以て土蔵の様子を見せていただいた時(昭和四十七年秋)は、箱づめになっているせいもあって、その量は、さほど多くないように見えたが、曝凉されて、十数の教室に全ての本がひろげられ、ていねいに並べられ、紙テープで押えてあるのを見て圧倒されてしまった。それは、二つの驚きであった。ひとつは、もちろんその冊数の多いことであり、もうひとつは、たくさんの本が心をこめて大事に扱われていることであった。聞くところによると、黒羽小の児童は、六年生になると、各先生の指導のもとに必ずこの虫干し行事に参加するとのことであるが、文化財を大事にする気持ちが、このようにして育てられていくのだと感じて、黒羽小の卒業生は、実に幸せな機会を得ていることだと思ったのである。文化財を大切にするということは、口先で唱えるよりも、どのようなものが大切にされなければいけないかを、具体的に見たり、触れたりしながら先生の指導を受ければ、きわめて効果的に身につくものである。
ただ、残念ながら、小学校の六年生には、この蔵書の内容的な面は、恐らくむずかしすぎるであろう。だいたい書名がくずし字で書いてあることが多いし、中味を読むことは、なおさら困難である。そこで、この百年史に執筆の機会を与えてくださった際に、大関文庫の内容や価値について、調べたことを記してみたい。ただし、調査はまだ一回だけで(昭和四十九年以降も継続して調査させていただく予定であるが)およその全貌は、つかめたものの、一冊一冊の細かい検討は、まだ完了していないので、中間報告であることをお断りしておく。ここでは、蔵書の内容を主として述べることにしよう。
大関文庫の蔵書は、いろいろなものが含まれており、外形でいえば
写本(筆で書いた本)
版本(木版で印刷した本)
活字本(現代の本のように活字で印刷した本)
版本(木版で印刷した本)
活字本(現代の本のように活字で印刷した本)
の三種類、すべてが存在する。
また内容で分類すれば、次のようになるが、内容的にも多方面にわたっていることが、これだけでもわかると思う。
文学
和書 歴史
その他
和書 歴史
その他
漢籍(中国の本)
英学書
洋書
蘭学書(オランダ語の本)
洋書
蘭学書(オランダ語の本)
まず文学書を見ると、物語の類では
○源氏物語 五十四帖(版本)
○宇治拾遺物語 十五冊(絵入版本、万治二年〈一六五九〉出版)
○宇治拾遺物語 十五冊(絵入版本、万治二年〈一六五九〉出版)
がある。源氏物語は、いうまでもなく、天皇の子として生まれた光源氏という貴公子を主人公とした平安朝の物語であり、紫式部が西暦一千年頃書いたといわれている長篇の作品である。世界最初の本格的長篇小説であることと、そのすぐれた人間洞察により日本の誇る文学のひとつになっている。
宇治拾遺物語は、短い話をたくさん集めた説話集で、十二世紀頃書かれたといわれ、中には、こぶとりじいさんのもとになっている話とか、芥川竜之介の「芋粥」の原話など、おもしろい話がたくさん収められていることでよく知られている。
他に物語類の注釈や評論として、「土佐日記抄」「伊勢物語古意」「源語評」「源註拾遺」等(いずれも版本)もある。
和歌関係では
○万葉集 二十巻二十冊(版本)
○二十一代集 四百巻五十六冊(版本)
○二十一代集 四百巻五十六冊(版本)
がまとまったものとして注目される。
万葉集については説明するまでもないであろう。日本最古の和歌集である。二十一代集とは、古今集(九〇五年)にはじまり新続古今集(一四三九年)にいたる勅撰和歌集(天皇の命令で編集された和歌集)の総称で、その中には、紀貫之らの編集した古今集、藤原定家らによる新古今集(一二〇五年)などがふくまれている。二十一代集は、大部のものであるだけに、まとまって蔵されることは珍しく、この版と同じものは、日本全国でも二十箇所ほどしか所蔵されていない。
和歌関係でほかに
○古今余材抄 四冊(写本)
○古今和歌集打聴 二十巻三十冊(版本、一七八九年出版)
○古今和歌集打聴 二十巻三十冊(版本、一七八九年出版)
がある。古今余材抄は、江戸初期の学者契沖が書いた古今集の注釈書(一六九一年)で、しかも写本であるから細かく検討していけば大きな価値が発見されるかも知れない。
古今集打聴は、本居宣長の先生である賀茂真渕の講義録をもとにして出来た。やはり古今集の注釈書である。他に百人一首の注釈書「百人一首一夕話」(版本)も蔵されている。
歴史書ではまず
○日本書紀通疏 五冊(写本)
○日本紀新古本異同正誤 一冊(写本)
○日本紀新古本異同正誤 一冊(写本)
をはじめとする藩主大関増業の著述を挙げなければならない。大関増業は、幕末の黒羽藩の名君として有名であるが、同時に「日本書紀文字錯乱備考」「日本紀見例」(版本)などの著述によって広く知られた日本古代史学者でもある。その著書が、この文庫に多く伝蔵されているのは、当然といえば当然であるが、それらは実に貴重な文献であり、文庫蔵書中最も誇るに足るものであるといっても過言ではない。
古代史関係では他にも
○古事記 三巻三冊(版本)
○神代烏伝 五巻二冊(写本)
○日本書紀通証 三十五巻二十三冊(版本)
○古語拾遺節解正語 一冊(写本)
○神代烏伝 五巻二冊(写本)
○日本書紀通証 三十五巻二十三冊(版本)
○古語拾遺節解正語 一冊(写本)
等多数蔵されている。これは藩校作新館の教育のひとつの柱が、日本古代史であったことによるが、やはり大関増業が集中的に集めたことも考えられる。
他の時代の歴史書では
○吾妻鏡 五十二巻二十六冊(版本)
○国史略 五巻五冊(版本)
○日本外史 二十二巻十一冊(版本)
○国史略 五巻五冊(版本)
○日本外史 二十二巻十一冊(版本)
などが、まとまったものとして目につく。
吾妻鏡は、鎌倉幕府の公的日誌。国史略は江戸時代の巌垣松苗という歴史家の著述。日本外史は有名な頼山陽の著述である。国史略と日本外史は、同じ版のものが数部ずつある。ということは、作新館で教科書として使われていたのであろうか。
その他の和書の中にも興味深いものが多い。明治新政府の公式出版物「太政官日誌」「外務省日誌」等、明治時代の教科書「小学算術書」「書き方手本」等、古辞書類では「下学集」「袖珍略韻大成」等、昔のしきたりを書いた「公事根源」「一条褝閤令抄し」等、さまざまな方面にわたっているが、枚挙にいとまがないので、この辺で打切ることにしよう。
次に漢籍と洋書について述べよう。漢籍で有名なものを列挙すると、
○資治通鑑 二百九十四巻(版本)
○大学衍義 百六十巻(版本)
○韓非子翼毳 二十巻(版本)
○小学句読 二篇六巻(版本)
○近思録 十四巻七冊(版本)
○大学衍義 百六十巻(版本)
○韓非子翼毳 二十巻(版本)
○小学句読 二篇六巻(版本)
○近思録 十四巻七冊(版本)
などで、歴史書、思想書、教育書等多方面に及んでいることが知られる。これはやはり中国史や中国思想の教育のために用意されたものであろう。ほかに順不同であげれば「六諭衍義大全」「毛詩品物図故」「大東世語」「易経集註」「古文真宝諺解大成」等これも枚挙にいとまがない。
洋書は、洋学が幕末から明治にかけての最先端の学問であったことによって集められたのであろうが、主に武器や軍隊に関するもので、それらを理解するための語学者も多い。書名は横文字になって煩わしいので省略するが、一八五六年出版のオランダの蒸気船製造書・一八五九年出版のやはりオランダの軍学書をはじめいろいろあり、中には一八七一年出版のアメリカの地理学の本や一八五七年パリで出版された物理学の本のようなものもある。語学書では、一八七〇年出版のウエブスターの英語辞書のほか、英語・オランダ語の辞書が沢山あり、また日本で出版された英会話の本(明治四年〈一八七一〉出版)、シャンハイで出版された英和辞書(一八六九年刊)等変りだねも多い。
このように、大関文庫の蔵書は、多方面に及んでおり、日本のある時代における総合図書館の姿を示している点も充分に評価しなければならない。すなわち、全体として、ひとつのまとまりを持っているコレクションであるということである。であるから、この文庫の将来のあるべき姿として、このまとまりを崩さずに独立した取り扱いを受けることがぜひ必要であろう。もちろんその前提として、一冊一冊が詳細に点検され、目録を完備し、一点ずつラベルを貼って紛失の危険のないような処置をとらなければならないであろう。現状は保存の点では、充分注意が払われていて理想に近いが、利用の面では今後にまたなければならないのは残念である。これだけの蔵書が人びとに広く利用される日の近いことを祈って、この稿を閉じたいと思う。 文献(黒羽小創立百周年誌より)