所在 黒羽町大字前田字外城(とじょう)黒羽藩士村上謙斉が自宅で教授した。
科目 男子には、手習、国尽し、庭訓往来、珠算を教えた。女子は、男子と別で、女大学、女今川などである。
沿革 教師村上謙斉は、世襲の黒羽藩士で、能書家であったから、手習に重きを置いた。開塾は、文久(一八六一)年間である。筆子は前後、男女合わせて三十余名で、家庭教育的に教授し、特に、しつけ方に努力した。
謙斉は、明治四年十月に、作新館が移転改築すると、館の教官となり、手跡(習字)の首席教官(六等年俸三十両)と、支那学(漢学)教授を兼務したから、男子は夜学に通った。明治七・八年頃まで続いた。村上氏の子孫は、現在黒羽町には住んでいない。