(五) 女子教育

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 江戸時代の社会は、武家社会の主従関係に基礎を置いていたが、更にこれが家庭内にも及び、親子の関係、夫婦の関係も主従の関係と同様に見做されていた。そのため、女子の教育は、人間関係を基礎とし男子の教育と全く別のものとして考えられていた。この点では、庶民の場合にもほぼ武家と同様であった。しかし女子は男子のように学問による高い教養は必要がないものと考えられ、女子は女子としての心得を学び、独自の教養をつむべきものとされた。女子の教育は主として家内で行われ、家庭の外でなされる教育もお屋敷奉公や女中奉公を通じて行儀作法を学ぶことが重視され、学校教育のような組織的な教育の必要は認められなかった。上流の女子は、手習いや読書を学び、諸芸能を学ぶ者もあったが、それは一部の女子であり、一般には家庭の中の女子としてまた妻としての教養が重んぜられた。又江戸時代には女子のための教科書が多数あらわれた。「女大学」をはじめ「女論語」などのように当時有名な教科書に「女」の語を冠したものが多いのも男の教育と区別して独自なものとして考えていたことを物語っている。しかし幕末には、寺子屋に学ぶ女子も次第に増加したが、男子に比べてはるかに少なく、また内容も裁縫、茶の湯、活花、あるいは礼儀作法などの女子的教養すなわち女の「たしなみ」が重視された。このように封建的女性観に立脚し、自我を主張せず婚家の家風に適応し柔和、従順、貞淑をもって根本理念としたのである。従って高い文化的教養は、女子を不幸にするとされ、実際的生活に必要な諸芸が修得されたに過ぎない。