この時代の女子教育として注目すべきものに行儀見習がある。当時の武家邸及び大商人の奥には多数の女中がいた。これは現在の職業婦人としての女中と異なり、比較的裕福な武家、商家、農家の娘が一種の修養のため寄寓したのである。その目的は上品な言葉遣いと行儀作法に習熟することであった。藩主の御用をつとめる商家の娘が、御針屋等で一通りの修養をつんだものが仕上げの意味で奉公に上ったものとみられる。かくて見習を完了したものは、起居、進退、言葉遣いが正しく、上流婦人としての品位を保ち、当時結婚の最もよい条件と考えられた。
この見習奉公は、給料は名義だけであり、礼服等は自費で整えねばならず、その他季節季節に贈物をするため、多額の金額を要した。だから裕かな家庭のものでなければ、奉公に出してくれなかったのである。次いで、廃藩置県後も引続き旧藩主、藩士の家庭に入った者が多かった。 (文献 栃木県教育史・学校の歴史)