阿久津家万代勤行記
(黒羽向町阿久津健蔵家文書)
本文内容
安永八己亥年(一七七九)安昌五十七歳八幡の神応神天皇様御子孫江被為仰伝候御教書之写
一、父母に孝々にして法度を守り面々の家志よくをつつしみ正直を本とする事誰毛ぞんぢたる事な連ど毛、いよいよ相心得候よふ下人まで日々可為申聞もの也。右者東照権現様被為極御信仰上下眼前の壁にはり置朝暮奉拝見候よふに御觸なし有之候御事に奉承知候誠に難有御教書也
大和俗訓の内
一、酒食を過せば病を生寿るの本那り、言(ことば)をつつしまざればわざわひの本なり、恕をこらへざ連ばあらそひの元也。私慾深け連ば身を不路保寿の本也。倹約那らざれば家を失ふの本なり、此六本の去されば身と家とをたもちがたし勤て是を去るべし。
一、利を求連ばかならず害阿里、福(さいわい)阿連ば禍阿り。只其分限の安し貧福は天命にまかすべし。
俗歌に
上見連ばはてしも阿ら恕世の中に、我不(ほ)どもなき人毛こそあれ安昌思ふ事
一、貴賎ともに出生の男女有之候上ハ乳母其外家内召遣の男女等迄急度申附置赤子より仮初の戯に毛虚言申聞せ間敷候、虚言佞奸(ねいかん)気ざしあらば四五歳より早く誡べき事の第一也。次には少児たり共自身にた里候用事に召津かいの下女下男の遣候儀并(ならび)に朝暮食事に附我が侭気随成儀有之はかならず用捨すべからず此両様(よふ)人間奢始なり是を打捨置ば子に父母の奢を教ゆるなりと心得るべき也惣し而男女ともに生長(おいさき)のあしきは祖父祖母両親恩愛に引かれ赤子より気随我が侭(まま)用捨するの咎(とが)也。用捨なく教え養育(そだつる)事は親たるものの子江第一の慈悲心也。是先祖家名江対し孝勤と可知事の大要那り。
一、禽獣すら天生日々の活命をつとめ、寝倉を定む。まして人と生れ身を治め家を治る昼夜の勤行(ごんぎよう)、片時もなくらんハ有る可き事に候。或は老体にても気体動き働く内は今日活命の冥利、天道への慎、礼勤これなき人者、現当(げんとう)安楽得がたき事とわきまへ志るべし。
一、天地父母家名、此の大恩ハ貴賎万民のがるる事なし。天生冥加と申事の道理を年若よりわきまへしり、妻子召遣の男女まで教えみちびくべし。人と生慎み知るべき事の根元なり。
一、家名は我が内にあらずして家名ハ家名の家名なり、此の利をわきまへ、代々の主(あるじ)夫婦私心にひかれず家名の万事世話人と心得万端妻子の恩愛に引れず、私をかへりみ召つかひの男女へ私の恕なく家業相続第一、生録生業を守り倹勤する人は誠に現当の冥理目出度人也、かくの如く天命天生に叶ひ仁義禮知信の人は家運長久子孫繁栄たる事疑なし
心だに誠の道に叶(かなわ)なば祈らずとても
神守るべくらん
神守るべくらん
休親歌
正直のかうべな希連ハ神たちの
屋ど里所もすくなかるらん
正直のかうべな希連ハ神たちの
屋ど里所もすくなかるらん
〈以下要約〉 (下書による)
安永八己亥年正月廿二日片町より急火、上下町残らず類焼、災難これあり。
思うに
一、水火風其外天変災難の事ハ其所夫道満(みつる)を惣(かく)の道理なれば貴賎の男女は分限相応奢を誡、慎、生録生業を守り勤、倹約不自由をつつしみ天道是を教給ふ。厚き御恵と心得奉り恐慎(おそれつつしみ)油断なく倹勤たるべき事に候。此道理をわきまへ恐れずして私我気随ある人には天災またあるべし其身が妻子其外家内の災難これあるべき事と心得一分の初め、家内申合倹約実勤にして恐慎むべき事、信心第一の要法也と心得、知るべき事に候
但難渋の中にても一分のこらへ、貧福相応に仁心あらま不し
極難のものへ少しづつの志あらば 天の恵はやくして家内安全子孫繁栄家名長久の御祈祷これあるべき事
一、天地主君父母家名此大恩天命、天生、冥加と申候道理を早く存じ知り 生録生業を守り勤行、心学の執行には、家道訓、大和俗訓 農業全書 并(ならび)に養生訓 此四部朝暮熟覧学び行ふ 知るべき事に候。
一、妻子たりとも定業これある事に候へば、猥に隙取遣候物にハこれなく候、自分に足り候用事は随分一分はたし候よふ相心得心掛可き事に候。
其身大口いたして人をはかハ安座長居する事血気めぐらずして不養生なる事養生訓に見えたり。眠ることすくなく朝早く起動き働く事血気滞りなく食後歩行など養生第一の要法なり。惣じて保養と慎は長寿の根元と行い知るべき事に候、天生請(うけ)得し寿命を愛する事人生第一の慎也 長寿は諸願の根元たること朝暮恐れ忘るべからざる事に候
右之條々代々この子孫信仰奉り前より止(とどま)り定りて身を治め家を治る勤行、常にして其の分限の安んじ世の中を善候上は外に望む私慾なく心体清涼にして血気滞る事なく無病長寿にして家内むつまじく、我が子孫繁栄家運長久諸願成就疑いなし、これ萬喜の根元、万代目出度なるべく書顕(あらわ)し譲り置もの也
右之條々代々この子孫信仰奉り前より止(とどま)り定りて身を治め家を治る勤行、常にして其の分限の安んじ世の中を善候上は外に望む私慾なく心体清涼にして血気滞る事なく無病長寿にして家内むつまじく、我が子孫繁栄家運長久諸願成就疑いなし、これ萬喜の根元、万代目出度なるべく書顕(あらわ)し譲り置もの也
当家六代主
阿久津茂平治 五十七才
安昌 花押
安永八己亥年
七代主
阿久津茂右衛門 夫婦江
当家代々子孫男子女子江
(注)阿久津家(屋号白河屋)は黒羽町大字黒羽向町五十二番地にある。当主の名 健蔵、
近世は石井沢村(現在の黒羽向町)の向宿、下町の町年寄の役職にあり、問屋を経営した旧家(天文年中大関高増の附人として供奉した治右衛門光清(増重)(叶斉)を先祖とする。
(阿久津健蔵氏所有)