三 黒羽藩士興野市左衛門隆雄の遺訓

488 ~ 489
 「太山(とやま)の左知」という造林および種苗に関する手記のほか。
一、第一忠には、上を重んじ奉り、若年より文武の芸な仕精し、正直にしてへつらはず、慎んでほしいまゝにせず、下たるものを、あはれみあなどらずして、忠を可尽、家内にては上に立ものを、大切にあかめ都而麁無之様可心得事。

一、孝には寸暇あるときは、内外を計りて山仕立に心を用い、不怠して子孫長久を祈らば、思召に叶ひ、尚家の繁栄長久なる事、いくばくか計るべからずと被仰置たり。子孫各思召に随ひ、家法を守る時は家の繁栄仰の如くなるべし。

一、子孫の面々の仕立山数多になれば、自然と奢りの心を生し売木だにすれば、自由たるの事を頼、驕慢して放埓無之様可心掛。是等の事は能く申伝へ候様被仰置たり。可慎事なり。

一、若き内は文武の芸を出精して暇少く、中年よりは勤仕并家事に掛りて寸暇なきものなれば、如何様にも繰合暇を見合、山々新古となく秋より冬の内自身に見廻り手入致すべき山は其節見定置、順よく手入致すべし。必人任せにすべからず。自身不見時は、色々の障り出来て不宜。

一、当家生立の次三男四男五男たりとも、年丈たる節は芸術の間に寸暇有時は、仕立山の手入苗の手入に不限、不怠手伝申付べし。生家にて働付たるものは他家へ行って厳重なる家法にても太儀なく都合能ものなり。親祖父抔こそくにおぼるゝ時は其子一生難儀するものなりと、朝暮被仰たる事なり。  (以下略)

 
   嘉永四(一八五一)辛亥年孟春
                   興野市左衛門隆雄