五 黒羽英学塾

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所在 黒羽向町七軒町
沿革 明治十七年(一八八四)の春、黒羽向町の安田六之助、黒羽田町増田岸太郎、同町大塚寅次郎の三青年が発起してたてた。

教師 当時聞こえた英学者小山田徹助(黒羽町堀之内の旧藩士)を教師に依頼した。授業開始となると、黒羽向町の猪股槙之助、同町菊地政三郎が加わり、聴講生総数五名となった。

教科書にはナショナルリーダーを用いたが、書物は当時地方に販売していなかったから、上等舶来の新本を東京丸善書店に注文して取り寄せた。英語のほかに経済学の講義も聴くことにして当時の新知識者佐伯有敦(後に自由民権の政治運動をした)に依頼して、スミスの経済学の講義を聴いた。このようなわけで、塾は教師の方でたてたものではなく、自ら進んで学ぼうとする熱心な青年が主体となってできたのである。二人の教師もこの熱意に動かされて、無報酬で教えられたが、入塾する生徒は十名足らずで半年を経過した。借家の賃銭(借家料一か月三円)やその他の雑費は、前記五名が支弁していたうえに、入学者の増加も望みないから、ついに一年たたないで閉塾した。この短期間であっても、リーダーの二の巻は終って、三に移った。

(黒羽向町安田六之助翁談)