七 川西庶民夜学会

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所在 黒羽向町(上町)
沿革 明治二十八年(一八九五)から大正二年(一九一三)頃まで
会主 荒川主馬 坂内玄次

 黒羽町大字黒羽向町(上町)にあった劇場東毛座を興行のない時に使用した。その後度々移転し、最後に川西小学校(常念寺の境内続き、西北方にあったが、現在は墓地となっている)の裁縫室を使用した。
 黒羽向町医師荒川静斎の三男荒川主馬、同上町医師坂内伯意の次男玄次の二人が発起者となって明治二十八年秋に発会式を挙げた。両人は青年層の新知識者であったから、学科は英語と経済学であった。
 会長は同町磯松次郎、教師は川西小学校教員秋本恒次、常念寺の福田大〓で盛りの時は学生六十名もあったが、同三十年一月、福田大〓が病気になったので、一時中止したが、その後復活して大正二年頃まで続いた。荒川主馬はその後同町大字桧木沢に住み、大正七年三月病没した。