1 私立小学校としての再出発

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 明治五年(一八七二)八月、学制が頒布されて、全国に小学校が設立されることになったので作新館は私立小学校として再出発することになったが、その願書は、私学開業であって小学校の文字はなかった。次に当時の教育情勢を知ることの出来る興味深いものを掲げる。

作新館印
(大関私学作新館)(黒羽藩作新館)(第一大学区第三十五番中学区第三十四番小学大関私立作新館)

    私学開業願書
  第一条
一、学校位置
栃木県管下第四大区七小区那須郡黒羽前田村旧郭内三百七番地作新館ト称ス

  第二条
一、学校費用概要
 金二百一円十六銭四厘九毛八但一ケ年分
 内訳
  金七拾一円十六銭四厘九毛八   教頭事務係給料
  金二拾五円           使役給料
  金四拾五円           書籍器械等入費
  金五拾円            諸雑費並営繕予備
  金拾円             生徒賞与料
  第三条
一、教師履歴 旧藩士 渡辺伝
明治六年十一月より同七年一月迄三ケ月間栃木町類似師範学校に於て小学教示法研究の旨記載あり

  第四条
一、教師給料
 金三拾四円廿六銭四厘六毛二 但壱ケ年分
  第五条
一、学科 尋常小学
一、教則 正則ヲ用フ
一、校則
一、入校ノ節ハ区郡村名及苗字、名前、年令ヲ以テ、事務係ニ可申出事
一、毎朝第八時出校 午後第三時退校之事
一、病気又ハ無余儀事情ニテ欠席スル時ハ同輩ノ者ヨリ、其後事務係エ可相届事

一、喧嘩争論、高笑、遊歌、疾走等都テ粗悪ノ振舞致間敷事
一、課程怠惰、又ハ無謂三日以上出校不致者ハ、其情実ニ因リ、終日温習或ハ両日乃至五日間、灑掃(さいそう)等可申付事

一、毎歳一月十日開学、十一月廿五日閉校之事
一、毎月一、六日、御祭日等ハ休暇之事
  但三十一日ハ休暇ニアラズ、尤モ臨時休暇ハ其時々可相達事
一、月末毎ニ、生徒一同試験之上、其業之進否ニ因テ、賞与黜陟可致事

右之通リ皆可相守者也

 右之通リ開業仕度 此段奉願候          以上
   明治六年(一八七三)十二月十九日
     従五位            大関増勤代
           第四大区七ケ小区阿久津村
              三百九十七番居住(現田町)
                家扶  渡辺隆
                用掛  中西慧哉
                     戸長  土居鼎之助
 栃木県令  鍋島幹 殿
  前書相違無御座奥印仕候也
                    学区取締 滝田幸一
 
 右の出願に対してまだ許可がなかったが、翌七年四月二十日、改めて小学校として仮りに開校した。なお、漢学として創立した本願を捨て難く、夜学として支那学、英学の二科を置いた。