6 大輪村同輪舎生徒収容

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作新館も小学校となっては、一般人の子弟を収容することになり、堀之内村、前田村、田町、八塩村四か村(学校に近い部落)の児童を収容していたが、同十年一月、大輪村から児童の入学申入れがあった。これまで大輪村には同輪舎と称する小学校を設けてあったが、設備や教員などの点から見て、作新館に入学させて教育を受ける方がよいという村民の意向によってである。そこで作新館では、この申込みを受け容れて、左の定約をした。
一、現今教育を担任せし四か村(堀之内、前田、田町、八塩)は、先約に付、若し同村入学の者増加し、校舎充塞の節は、先約後約の緩急を以て、先ず同輪舎生徒は退学を命ずること。

一、公立の分舎を私立に属する上は、仮令公向紛事を生ずるも、予て作新館は関せざること。

一、教育金として、三十五円の十二分の一ずつ、毎月区務所より校掌へ送致の事。

 但、月謝金は別途作新館に於て収受の事。
一、右出納仕訳は概覧表及統計表へ記載せざる事。
一、同輪舎にある諸器は、作新館にて借用する事。
    明治十年(一八七七)一月十二日
                   作新館 印
                   区務所 印
定約が成立して同年一月十八日、大輪村同輪舎生徒三十名が作新館に入学した。