支那学科(漢文)の教官は、三田称平で、月俸四円廿五銭を給せられた。補助教師として称平の高弟佐藤計四郎(のちに別記私立施有学館長となる)で、規定により月俸八十五銭(十年一月制定)であったが、翌十一年一月から一円廿五銭(舎長の俸給額)となった。同十年十一月、支那学科で課外授業を行うことにして、左の事項を制定した。
毎月一日(日曜日ニ逢フ時ハ翌日)
諸級生 課題作詩
但五七言絶句一首以上、進歩ノ者ハ律詩ヲ作ル
毎月十五日(日曜ニ逢フ時ハ翌日)
初級生 課題真片仮名作文
但漢字ニシテ凡五、六十字ヨリ少カラズ
二級生 同断
但漢字ニシテ凡百字ヨリ少カラズ
三級生 復文(漢文を仮名交りにしたものを漢文に復すること。)
四級生 同断
五級生 和文翻訳
六級生 同断並課題作文
これでみるように、支那学科においては、非常に作詩を奨励した。若い教官は学生と一緒に作詩のグループをつくり、毎月「闘詩華」と題する小冊子に各自の詩を連記して、変則教師三田称平の添作を乞うた。