14 県費の補助と村民の援助

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先に同九年十二月、大関家から補助費増額の許可があったが、校運の盛んになるにつれて諸経費は益々増加して行くため、さらに県費の補助を県令に申請したところ、同十三年八月六日に許可された。金額は書いてないが同十五年四月に差出した私立学校作新館設置伺の、歳出入の予算をみると、地方税補助金百一円四十二銭九厘とある。その令達は、
  其校位置学期学科課程等都て該学区人民の公益たる事を認め、本年七月以後、補助金配付候条、此旨相達候事
  明治十三年八月六日
     栃木県令鍋島幹代理
        栃木県大書記官         藤川為親
 この補助金が下る前に、当学区(那須郡第二十八番小学区)に対して、公立小学校を設置すべき令達があったとみえて、学区から
  公益タル私立小学校有之ニ付公立小学校設置不致儀ニ伺
を学区人民惣代、前田村 吉田寿八郎、堀之内村三森初太郎、大輪村小沢儀平、八塩村益子鉄之進、黒羽田町風野六之丞、および私立小学作新館校主大関増勤代理浄法寺操、那須郡第二十八番小学区学務委員滝田幸一、前田村戸長塚本忠信、堀之内村大輪村戸長秋庭盈平、八塩村戸長菊地富之助、黒羽田町戸長矢野保、連署をもって、栃木県小学模範教則中、尋常高等の二種直に履行すべきことや試験法の規定等を記して栃木県令に提出し、同年八月二日に聞き届けられたから、同月六日に前記の補助費配付の許可があったわけである。
 私立作新館の経費難は、所在地黒羽町の父兄たちにもわかったので、町民から寄附金を募集し、同十四年三月、校主大関増勤に贈ったが、その請願書は、いかにも封建的で上下の分際が伺われる。