(1)請願書

503 ~ 504
曩(さき)ニ私学作新館ノ設ケアリテヨリ、爾来 郷ノ子弟、無資学ニ就クヲ得ルモノ比々皆是ナリ、殊ニ我田町ノ如キ、尤校地ニ密邇セルヲ以テ、其仁恵ニ浴スル又隆渥、実ニ感泣ニ耐ヘズ。吁 閣下ノ恩遠大、民ノ父母ト云モ蓋シ溢美ニアラザル也。然リ而テ久シク其恩ハ狎レ、其徳ニ安ジ、依然之ガ報施ヲ思ハズ。豈ニ意ノ甘ズル所ナランヤ。義ヲ見テ為サザルハ勇ナキ也。今茲ニ募集スル所ノ金若干円、謹デ之ヲ校庫ニ献ゼント欲ス聊カ報恩ノ衷ヲ表スルニ足ラン矣一同懇願ノ至ニタヘズ。冀翼クバ採納セラレン事ヲ、此段奉願侯也。
  明治十四年(一八八一)三月一日
            右町総代      阿見市太郎
                      滝田幸兵衛
                      滝田幸一
                      益子長兵衛
                      新泉庄助
                      風野六之丞
                      矢野保
  従五位大関公閣下
 同月十四日には、風野六之丞以下十五名(郭内と前田村の人)が、一人金一円ずつを醵出して、生徒の防寒用に薪炭料を寄附したいと大関公に「烏薪料寄附願」を差出した。