19 私立作新館の廃止

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明治十八年(一八八五)十二月三十一日、私立作新館を廃して、公立小学校に改めることとなり、校地、校舎、校具の一切を大関家から、旧学区内四か村(黒羽田町、八塩村、堀之内村、大輪村)に無償譲り渡して、翌十九年一月から黒羽西校分舎(野上村の東校に対す)と称して、授業を継続した。これは校費の支出問題と時勢の推移からきたものである。
 以上藩学作新館の名を以て、安政四年(一八五七)五月に設立されてから、明治六年まで相続してきたが、同年三月県令から、免許のない家塾等は閉塾すべき由の達しがあったので、機構を改めて、私立小学校として認可を受け、作新館の名称は相変らず存続してきたが、ここ十八年十二月三十一日を以て、創立以来二十九年の由緒ある「作新館」の名は消えてしまったのである。