黒羽の作新館は、前記の通り廃止となったが、翌十九年(一八八六)黒羽藩士小山田徹助は、この由緒ある作新館のなくなったのを遺憾として、宇都宮市二里山に私立作新館をたてた。徹助は前記のように黒羽向町に英学塾を設け、英語を青年に教授した。当時ひとかどの英学者であったから、宇都宮の作新館は、黒羽の漢学を主としたのと違い、英語を主とした塾を開いたわけである。この作新館の前身は、明治十八年九月に、宇都宮の有志が、江野町に立てた私立下野英学校であるのをみると、徹助はこれを継承して、独力経営することとなったために作新館の名称を用いたものと考えられる。この塾がのちに船田兵吾の手に移り下野中学校となった。