又町内にもその作品が沢山所蔵されている。
特に鮎をよく描いているが風景では富嶽、人物画も沢山ある。代表的作品として城から東を望んだ東郷の図、西を眺めた西郷の図、黒羽城鳥敢図、揚柳観音図、佐良土の法輪寺にある涅槃図がある。
小泉斐の鮎図
斐を師として藩主増儀も幼より絵を学び神社に奉納された絵馬、その他の作品が数点現存している。
斐の門弟の作品は常念寺本堂の格天井に画かれている。
常念寺本堂の天井
斐の晩年佐藤槐山が出る。(前田佐藤氏の祖)前田の住で前は梧陽と号したが、誰に師事したかは不明である。嘉永二年(一八四九)生まれ大正六年(一九一七)六十九歳で死亡する。
槐山の号は大沼渉がつけたもので槐山については大沼渉より贈られた書により知ることができる。
槐山
下毛ノ那須ノ人、佐藤梧陽ハ世ヨヨ住ミ二前田ニ一邸内ニ有リ二一槐樹一焉。天保年間(一八三〇~四三)藩士小山田栄重、携ヘ二槐苗ヲ一来所贈ラレシト二於祖父藤作ニ一云フ者也。其ノ樹重ネレ蔭ヲ掩フ二家屋ヲ一焉。而シテ祖母ノ齢八十有六、合セ二曽孫玄孫ヲ一一族至ル二百有七人ノ多キニ一矣。鳴呼槐ノ繁茂スルコト乎如シレ斯クノ焉。延ベレ寿ヲ蕃殖スルコト乎亦(マタ)如キモレ斯ノ非アラザル二偶然ニ一也矣。槐ヤ也延ブルレ寿也。祝ヒレ槐ヲ以テ贈ルト二前号ヲ于佐藤氏ニ一云シカイフ。
明治二十六(一八九三)年十月 日 峰雪
(原文返り点なし)
作品は佐藤家に沢山保存されているが町内にも所蔵している人がある。代表的な作品の一つとして黒羽城鳥瞰図の模写が黒羽神社に納められている。
佐藤槐山の虎図