芭蕉の旅路「奥の細道」の中で元禄二年(一六八九)四月三日から十六日迄の十四日間と云ふ旅中最も長く滞在したのは、浄法寺桃雪、弟の鹿子畑桃翠両名のもてなし、黒羽の伝説、風景に魅せられ長とう留になったのであろう。余瀬の桃翠宅に十日ばかりとう留した。そして十四日同好の人々が会合して連句会を開いた折に芭蕉、曽良、桃翠の外に桃里、翅輪、二寸、秋鴉の名が見えている。
当時芭蕉の門弟である桃翠の影響をうけ俳諧を楽しむ人が多かったと思われる。黒羽を立って那須湯本に向う途中高久の里、里正角左衛門(高久氏の祖)の宅に泊った。高久は黒羽領である。俳諧についてはおくのほそ道に記す。