4 歌仙興行

533 ~ 534
この「秣おふ」の句は、余瀬に逗留中に行なわれた歌仙の発句によまれている。『俳諧書留』には、句の前書に、「奈須余瀬 翠桃を尋て」とある。
 この歌仙興行に参加した人たちは、芭蕉・曽良・秋鴉(浄法寺図書)・翠桃・翅輪(津久井氏)桃里(余瀬の本陣問屋蓮実伝之丞政長)・二寸(森田氏)の七人であった。このうち翠桃・桃里・翅輪・二寸の四人は余瀬の住人で、翠桃を中心とした俳諧仲間である。芭蕉の歌仙に参加できるほどの、俳諧の力量があったわけで、当時のこの地における文化の程度も推察することができよう。
 さて、歌仙とは連句(俳諧の連歌)形式の一つで、三十六句からなるものをいう。この名称は、藤原公任が選定した、柿本人麿以下の和歌の三十六歌仙に由来するといわれている。連歌全盛期には百韻を普通としたが、蕉風確立以後は量より質への変化で、三十六句の歌仙形式が圧倒的に多くなった。
 この三十六句を、二枚の懐紙の表裏に書いて一巻とするのである。一枚目に初表(しょおもて)六句、初裏(しょうら)十二句、二枚目すなわち名残表(なごりのおもて)十二句、名残裏六句を書く。(「秣おふ」の歌仙形式に示す。)
「秣おふ」の歌仙形式
呼称作品解説
表・裏季語
初折(しよおり)
(一の折)
表(おもて)
(初表(しよおもて))
発句(ほつく)
(立句)
① 秣(まぐさ)おふ人を枝折(しおり)の夏野哉芭蕉夏野四句目
 
月の座
 脇②  青き覆盆子(いちご)をこぼす椎の葉翠桃覆盆子
 第三③ 村雨に市のかりやを吹(ふき)とりて曽良
 四句目④  町中を行川音の月ばせを
 五句目⑤ 箸鷹(はしたか)を手に居(すゑ)ながら夕涼翠桃夕涼
 六句目
 (折端(をりはし))
⑥  秋草ゑがく帷子(かたびら)はたそソラ秋草
裏(うら)
(初裏(しようら))
初句(しよく)
(裏移(うらうつり))
⑦ ものいえば扇子に皃(かほ)をかくされてばせを十一句目
 
花の座

九句目
 
月の座
二句目⑧  寝みだす髪のつらき乗合翅輪
三句目⑨ 尋(たづね)ルに火を焼付(たきつく)る家もなし曽良
四句目⑩  盗人(ぬすびと)こはき廿六の里翠桃
五句目⑪ 松の根に笈をならべて年とらんばせを
六句目⑫  雪かきわけて連歌始(はじむ)る翠桃
七句目⑬ 名どころのをかしき小野の炭俵(輪?)炭俵
八句目⑭  碪(きぬた)うたるゝ尼達の家曽良
九句目⑮ あの月も恋ゆへにこそ悲しけれ翠桃秋・恋
十句目⑯  露とも消(きえ)ぬ胸のいたきに秋・恋
十一句目⑰ 錦繍に時めく花の憎かりし曽良
十二句目
(折端)
⑱  おのが羽に乗(のる)蝶の小車翠桃
二の折
(名残)
二の表
(名残の表(なごりのおもて))
初句
(折立(おりたて))
⑲ 日がささす子ども誘(さそう)て春の庭翅輪春の庭十句目
 
月の座

有明の月

二句目⑳  ころもを捨(すて)てかろき世の中桃里
三句目21 酒呑(のめ)ば谷の朽木も仏也
四句目22  狩人かへる岨(そば)の松明(たいまつ)曽良
五句目23 落武者の明日の道問(とふ)草枕翠桃
六句目24  森の透間(すきま)に千木(ちぎ)の片そぎ翅輪
七句目25 日中の鐘つく比(ころ)に成(なり)にけり桃里
八句目26  一釜の茶もかすり終(をはり)ぬ曽良
九句目27 乞食ともしらで憂世の物語翅輪
十句目28  洞(ほら)の地蔵にこもる有明翠桃有明
十一句目29 蔦の葉は猿の泪(なみだ)や染(そめ)つらん
十二句目
(折端)
30  流人(るにん)柴刈(かる)秋風の音桃里秋風
二の裏
(名残の裏(なごりのうら))
初句
(裏移)
31 今日も又朝日を拝む石の上五句目
 
花の座
二句目32  米とぎ散(ちら)す滝の白浪二寸
三句目33 籏の手の雲かと見えて飜り曽良
四句目34  奥の風雅をものに書(かき)つく翅輪
五句目35 珍しき行脚を花に留置(とめおき)て秋鴉
挙句(あげく)
(揚句)
36  弥生暮(くれ)ける春の晦日(つごもり)桃里弥生

 このように連句では、五七五の長句と、七七の短句とが交互につながって、そのつながりを「付け合い」といっている。これには制作上いろいろな規則(式目)がある。その根本は『連歌新式』に示されてあるが、蕉風の付け合いは「匂付(においづけ)」と称し、貞門や談林に比して芸術的に洗練されたものとなっている。その特色は、匂(におい)・響(ひびき)・移り(うつり)・位(くらい)・面影(おもかげ)などで、前句のもつ風韻、情調、品位等に応じて句を付けるわけである。